シラミに関する逸話

シラミと人間の歴史が非常に深いことはすでに述べたが、その一例をここで紹介する。

石川雅望が江戸時代後期に書いた『しらみのすみか物語』より

さる翁がシラミを口から飲んで、それをからだのあちらこちらからふたたび取りだす芸で人を驚かせた。最後に、「ふぐりからだせ」との注文に応じて、「ふぐりなるひげ掻きよけつつ」取りだしたものは、初めのものとはまるでちがう「形ひらめなる物」(ケジラミ)で、珍芸のタネがばれてしまった。

鎌倉時代の『古今著聞集』より

さる旅人が京にのぼる途中の宿で、大きなシラミを捕まえ、憎いやつと柱に穴を開けて閉じ込めた。翌年同じ宿に泊まったとき穴を覗いてみると、くだんのシラミはやせはてながらもまだ生きていた。哀れに思い自分の血を吸わせたホトケ心がわざわいし、のちに刺された跡がオデキになってその物好きは死んでしまった。

中世のスウェーデンでの逸話

中世のスウェーデンのある都市では、市長の立候補者が円卓を囲んでそれぞれあご髭をのせ、中央にシラミをおき、シラミのたどり着いた髭の持ち主が市長になった。

同じく、当時の貴婦人は、体に合わせて衣装を作ったので頻繁に脱ぎ変えることができなかった。そこでシラミに刺された跡を掻くための“孫の手”を持ち歩くことがファッションになった。

シラミによる伝染病被害

発疹チフスは戦争や飢饉の貧困がもたらすシラミの多発によって爆発的に流行し、とくに戦争の場合にはしばしば戦局まで支配した。史上有名なのはナポレオン一世のロシア遠征の大敗で、60万の大軍の大半が発疹チフスに倒れ、モスクワに到着したのはわずか9万、占領中にもさらに1万がたおれたという。

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